2017/03/27

マニプール&ナガランド慰霊旅行より戻りました

先日まで4日間、ご年配の女性に同行してインパール作戦の激戦地を訪ねる旅をしました。こちらももっと詳しい歴史のイベントが解り、いかに日本にとって悲惨な歴史だったかという事を改めて実感しました。

お客様の目的は多くの日本人死者を出した地を訪問してそこで祈りを捧げる事。

今回の旅行は色々奇跡がありました。

※エアインディアが3回連続とも定刻より早く目的地に到着(笑)。

※時季外れなのにくっきりヒマラヤ山脈が眺められ、しかも目の錯覚なのか今までで一番近くに感じた。

※ナガランドとマニプールの間はつい訪問する3日前まで、部族関係の問題でインパールとコヒマの間が136日間にも及ぶ道路封鎖がされており、今回はその影響を受ける事無くスムーズに日程が進んだ。

※ビザ無しでミャンマー側にちょこっと入国する事ができた。そのため、ビルマで亡くられた英霊の方々へも祈りの念を伝える事ができた。

まずはデリーから空路インパールへ。ヒマラヤは最高に美しく、エベレストやカンチェンジュンガがくっきり現れました。

エベレスト

カンチェンジュンガ

カンチェンジュンガ

到着まず向かったのは日本軍の慰霊碑。ロトパチンの村民によって1977年に建てられました。今のところ、インパール作戦戦場で唯一の日本軍慰霊碑です。

慰霊碑入口

説明書き

ここには昭和17年大阪製の大砲が残っています。しっかり年号が刻み込まれています。日本軍はここに攻めるまで高いアラカン山脈を越え、ほぼ補給が無い状態でここにたどり着きました。でも、この場所で650人の日本軍兵士の内、生き残りはわずか36名。そして、その36名も全員が負傷者です。1944年5月、9日間に渡り、日本軍とイギリス軍が戦いました。

戦時中の大砲

この大砲、触れると当時これを使っていた兵士の想いが伝わってくる様で言葉に表せない重さを感じさせられます。インパール作戦の概要については忘れてはいけない歴史:インパール作戦に説明しています。

祈りの後、巨大な湖、ロクタク湖へ向かいました。穏やかな美しい湖ですがこの周辺は戦時中激戦地でもあったのが信じられないぐらい。ここのリゾートで少し休憩しました。

ロクタク湖

ロクタク湖

ロクタク湖

夕暮れ

漁師の村

翌日はミャンマー国境のモレーへ。この間も悲惨な戦いが繰り広げられました。モレーへ行く途中、険しいアラカン山脈の中を超えていきます。美しい景色とは裏腹に、この通りは日本軍の退却の際にも赤痢やマラリアにかかり、食料が無い中途中亡くなられた日本兵が沢山おります。

アラカンの桜

景色

テングノーパルの戦いの地にて捧げもの

山を下りると平野が始まります。もうそこはミャンマーです。モレーは思ったよりもとても活気があり、禁酒のはずのマニプールですが堂々とミャンマーから流れてきた東南アジアや中国のビールが店先に並べられていました。

店先に並ぶアジア各国のドリンク

そしてこれが国境

この時、インド側の出国とミャンマー側の入国でチェックがあります。インド側はガイドの交渉とちょっとしたコネにより、なんとか出国でき、ミャンマー側ぎりぎり手前から眺める予定でしたが、なんとそのまま素通りできてしまいました!そこに一応ミャンマーの警備隊は居たのですが。。。なんだかとても緩い印象です。ただ、一応正式に入国手続きをしていないので、とりあえず国境を越えた市場を少し速足で歩きまわりました。

ミャンマー。

雰囲気がガラリと変わりました。

住んでいる人々はインド系もいるし、マニプールに住んでいる同様の民族が住んでいるのであまり違いはありませんでしたが、市場は明らかにインドとは異なるものでした。まず、結構清潔!インド側はゴミが目立ちましたが、こちらは店の整理・整頓がしっかりできている印象です。ミャンマーの国民食のスープ麵であるモヒンガーの屋台もあり、凄く試してみたかった! もうここは東南アジアの世界でした。インドって本当に広いね!

ミャンマー側の街並み

ミャンマー側の市場

ミャンマー側の食堂

モヒンガーの屋台!

気のせいか、携帯カメラで撮影しましたがインドよりかなりカメラに対しての警戒心がある様に感じられました。今は民主化になったものの長年の軍事政権の影響でしょうか。

ミャンマーはまだ訪れた事が無いので、30分ぐらいの滞在でしたがとても面白かったです。

国境沿いを今度は違うゲートから走りました。ここでも検問はガイドの力により(彼の一家はインド軍に関わりがあるため)、ミャンマー側へ渡る事ができました。ここに、一つの第二次大戦中イギリス軍によって建てられた橋があり、これが国境にもなっています。真ん中を境に黄色側がミャンマー、白色がインド。

国境

これが国境の橋

これが国境!

ミャンマー側のチェックポスト

この日の夕食はホテルで伝統的なマニプールターリー(定食)。僕は実はマニプール料理の大ファンです!様々な種類の野菜やカレーをご飯の上に掛けて食べますが、普通のインド料理と異なるのは香辛料が控えめ。もっと自然の味が出されています。でも、唐辛子は結構使うので辛いです。川魚がよく食べられています。

マニプール・ターリー

デザート

デザートはパイナップルを甘く煮たのと、赤米を牛乳と砂糖で煮詰めたもの。どちらも口に合います。

はまった本

そうそう、↑の本はかなりお勧めです。実の体験を日記にしたものであり、結構簡単に書かれて読み易い。お客様の本だったのですべて読むことはできませんでしたが、今度日本で手に入れます。どれだけこの作戦が無謀で兵士が苦しんだかという事がよく理解できます。

翌日はナガランドのコヒマへ。険しい山道を上がっていきます。こんなところを日本軍は歩いて来たのですから、凄まじい精神です。

花が美しい

まずは、コヒマの戦いで中心となった佐藤中将が滞在したとあるナガ族の村へ。マニプールとナガランドは隣同士でも全然雰囲気が異なります。ナガ族は顔立ちが日本人そっくりで、結構清潔好き。村にはゴミ箱が目の届くところにあり、綺麗に薪が積まれている。村の一角では石が積まれた休憩所があったり、何だか本当に昔の日本と言うイメージです。

綺麗な花

ここが佐藤中将が滞在していた家

人懐っこい子供たち

村の全景

立派に積まれた薪

日本軍がやってきた事を記念する

村民は日本人の我々にとても温かく接してくれました。佐藤中将は部下思いの兵士だった様ですが、その思いがきっと現地人への接し方にもあったのかもしれません。

村の風景

村の風景

ウルルン滞在記みたい!

その日はコヒマのホテルにてナガランドの伝統料理を。タケノコと豚肉の煮込み、生姜と唐辛子のピリ辛チキン、そして納豆のスープ。この辺は納豆を食べる習慣があり、それを水で足してトマトかなんかを入れた結構美味しいスープでした。

ナガ伝統料理

最終日はコヒマの小高い丘へ。コヒマにあるいくつかの丘が日本軍とイギリス軍の激戦地でもありました。

コヒマ一望

ささっと軽い旅行記でしたが、この旅行で一番言いたい事。特に、この地で戦死された日本軍の兵士の皆様へ。

俺と一緒にいつか日本で焼肉たらふく食べて、美味しい酒飲んで、アツアツの風呂に入ろうぜ!


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2 件のコメント:

  1. 初めまして。
    ブログを拝見させて頂き、いきなりのコメント失礼します。
    私のひぃおじいさんはインパール作戦で戦死をしたのでインド平和記念碑や日本軍慰霊碑に行き手を合わせに行きたいのですが、色々と日本で調べてもマニプルの空港までしか分からず。空港からの行き方を探しても一向に分からず行き詰まってしまっています。
    もし空港からの行き方など分かればお教え頂けませんか?

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    1. コメントをありがとうございます。基本的にマニプールでは旅行会社手配のパッケージツアーが一般的です。詳しくはwww.h2travels.com/manipur.htmlをご参照下さい。

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